勅祭(ちょくさい)石清水祭の見どころ等、「情報満載」をテ-マに掲載しています。
選びたい情報は「目次をワンタッチするだけでOKです!!」
掲載内容は、「見どころ画像、重要情報(最新情報、日程、会場、電話番号、地図、アクセス)、見どころ動画、見どころ、周辺の駐車場、祭りの歴史、まとめ」まで掲載しています。では、内容を詳しく紹介していきますね。
Contents
勅祭(ちょくさい)石清水祭の最新情報&概要。
<祭りの重要情報>
勅祭(ちょくさい)石清水祭の日程は、
●毎年9月15日に予定されています。
●最新情報––追跡中
日程 | ●毎年9月15日に予定 |
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会場 | 石清水八幡宮 |
電話番号 | TEL 075-981-3001 FAX 075-981-9808 |
地図 | 京都府八幡市八幡高坊30 |
アクセス | <電車の場合> ◇京都方面より 京都駅から近鉄電車「丹波橋駅」あるいはJR「東福寺駅」のりかえ 京阪電車「石清水八幡宮駅」下車、 ⇒参道ケーブル「八幡宮口駅」~「八幡宮山上駅」下車徒歩5分 ◇大阪方面より地下鉄御堂筋線「淀屋橋駅」あるいはJR環状線「京橋駅」からそれぞれ連絡のりかえにて 京阪電車「石清水八幡宮駅」下車、 ⇒参道ケーブル「八幡宮口駅」~「八幡宮山上駅」下車徒歩5分・JR山陽本線 <車の場合> ◇京都・名古屋方面より 名神高速・瀬田東JCTあるいは第2京阪道路から京滋バイパスへ 「久御山・淀IC」を降り側道(国道478号)を直進 石清水大橋を渡りすぐの信号を左折、府道13号(京都守口線)へ 御幸橋を渡り信号を直進 京阪電車の踏切を超えて右手の京阪電車「石清水八幡宮駅」ロータリーを通過 正面の当宮「一ノ鳥居」を過ぎてすぐ右側当宮駐車場へ 参道ケーブルまたは徒歩にて男山山上へ ◇神戸・大阪方面より名神高速・大山崎ICを降り出口の信号を左折、国道171号へ すぐ次の信号を右折、国道478号へ 2つ目の信号を右折、府道13号へ 以下、上記の名古屋・京都方面よりと同様 ◇国道1号線より国道1号「八幡一ノ坪」交差点を八幡市役所方面へ 八幡警察署・八幡市役所を過ぎ正面つきあたりの京阪電車「石清水八幡宮駅」ロータリー手前を左折、当宮「一ノ鳥居」を過ぎてすぐ右側駐車場へ |
詳細は以下にまとめておきました。
まつりの一員として、お祭りに参加してみませんか?
お祭りは、「現実の世界」から「夢の世界」に運んでいただけるイベントです。
皆さんが感じる「三大御利益」…。
❶祭りに参加することで、参加者から「勇気」と「パワー」をもらうことができ、自分も頑張らなければと元気がみなぎってくるのでは…。
❷普段触れる事の少ない、「伝統や文化」を感じる事で、現実社会と離れる事が出来、少しの時間でも嫌な事を忘れ、あなたの心を「清浄」してくれるのでは…。
そして、明日からまた新たに再スタ-トがきれるのでは…。
❸「歴史を伝統」を知る事で、人として知識を得ることとなります。そのことで何らかの人としての成長を感じることができるのでは…。
さて、それでは「勅祭(ちょくさい)石清水祭」を更にイメージを膨らませていただくために、動画を用意しましたのでご覧ください。
勅祭(ちょくさい)石清水祭の見どころ動画。
2分53秒の動画です。是非、雰囲気を感じてみてください。
どうですか、さらにまつりの雰囲気を、感じていただけましたでしょうか。
私がお勧めする。「思い出作り」に一押し出来る、自慢の祭りの一つですよ。
では、「勅祭(ちょくさい)石清水祭みどころ」を紹介していきますね。
日本三大勅祭(ちょくさい)石清水祭の「みどころ」。
それでは、まつりの「みどころ」を紹介。
石清水祭は、「生きとし生けるもの」の平安と幸福を願い行われる祭儀で、葵祭、春日祭とともに三大勅祭の一つに数えられます。
➀、深夜3時から神幸行列—松明や提灯の明かりだけを頼りに、御鳳輦(神輿)が神人と呼ばれるお供の列を従え、山上から山麓へと下ります。
②、早朝5時30分から奉幣の儀
③、9時からの放生行事—放生川で放魚、放鳥があります。又、安居橋にて雅楽の調べが流れる中、胡蝶の舞が奉納されます。
石清水八幡宮では年間100余りの祭典を斎行しておりますが、その中で最も重儀として知られているのが石清水祭です。
「勅祭」とは天皇陛下のお使いである勅使が直々に天皇陛下からのお供え物(幣帛)を供えに参向される祭典のことで、全国8万社ある神社の中でもこの「勅祭」が斎行される神社は16社しかありません。
とりわけ石清水祭は、葵祭の名で親しまれる賀茂祭(京都-賀茂別雷神社・賀茂御祖神社)・春日祭(奈良-春日大社)と共に旧儀による三大勅祭の一つに数えられています。
祭典は、15日午前2時、山上・御本殿にて御鳳輦(神輿)3基に3座の神霊を奉遷する儀式より始まり、同3時には御本殿を出発、約500人のお供とともに山麓へと下り、絹屋殿に着御されたのち勅使以下の奉迎を受け頓宮に入御、次いで献饌・供花・奉幣・牽馬など古儀による奉幣祭が厳修されたのち、放生川にて魚鳥を放つ放生行事が行われ、御鳳輦は同日夕刻、山上へと還幸になります。
真夜中、松明や提灯の灯りだけを頼りに八幡大神をお乗せした御鳳輦(ごほうれん)が約500名の神人と呼ばれるお供の列を従え、男山山上の御本殿から山麓の頓宮へとお下りになる「神幸行列」、早朝空が徐々に明けゆく静寂の中粛々と斎行される「奉幣の儀」。
これらはまさに平安絵巻から飛び出してきたかのような高尚典雅の風を現代に伝え、文化と歴史を目の当たりにする〝動く古典〟として貴重な文化財といえるでしょう。
勅祭(ちょくさい)石清水祭の周辺の駐車場。
まつりでは、駐車場が少ないです。
よって、車を停められない可能性が十分にありますので、公共交通機関で行かれることをお勧めします。
まつりに近い駐車場をまとめました。
NO.1
駐車名 | 石清水八幡宮駐車場 |
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住所 | 京都府八幡市八幡高坊30 |
時間 | 終日(午前8時30分~16時) |
台数 | 不明 |
料金 | 普通車500円 |
地図 |
勅祭(ちょくさい)石清水祭の歴史。
<学べるセクション>
歴史、公式サイトより
石清水祭は清和天皇の貞観5(863)年、旧暦の8月15日に「石清水放生会」と称し、八幡大神様が男山の裾を流れる放生川のほとりにお臨みになって生ける魚鳥を放ち「生きとし生けるもの」の平安と幸福を願う祭儀として始められました。
そしてこの石清水祭が勅祭として斎行されたのは、天暦2(948)年の勅使御差遣に始まるとされ、爾来歴朝の天皇陛下には、八幡大神の御神慮にお応えになり、毎年勅使を差し遣わされて国家の安寧と国民の幸福を祈誓せられたのであります。
その後、円融天皇の天延2(974)年には朝廷の諸節会に準じ楽人舞人が舞楽を奏することなどが定められ、さらに延久2(1070)年には当日の太政官勤務の最上位たる上卿が勅使を兼ね、参議以下朝廷の諸官を率いて参向し、神輿の渡御を行わせ給うなど益々荘厳の度を加えることとなりました。
しかしながら、後花園天皇の御代(1428~64)の末年頃よりは諸国戦乱のため式日延引すること度々に及び、ついに文明年間(1469~87)以降は全く中絶するに至り、約200年を経て霊元天皇の延宝7(1679)年に再興され旧儀に復しますが、明治初年の大改革により石清水放生会の名は明治元(1868)年に『仲秋祭』、同3年に『男山祭』と改称され、同5年には神幸の儀が廃されて単に地方長官が奉幣使として参向されることに改められました。
しかるに、同16年、明治天皇には旧儀復興を仰せ出され、翌17年より毎年新暦9月15日に勅使参向の上、祭儀が厳粛に執行されることとなり、大正7年には明治2年以来「男山八幡宮」と改称されていた社号が旧称「石清水八幡宮」に復したことに伴い『石清水祭』と改称され、さらに昭和20年からは官制廃止により旧儀中絶の已む無きに至り、勅使のみ参向され祭儀を執行せられましたが、同24年からは石清水八幡宮一社において三たび旧儀により護持斎行することとなり、現在に及んでいます。
勅祭(ちょくさい)石清水祭のまとめ。
いかがだったでしょうか?
まつりの全容について紹介しました。
町全体が、祭りモ-ドに変わります。旅の最適場所ではないでしょうか。
是非お祭りは、「勅祭(ちょくさい)石清水祭」へ参加してみましょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。今後も読者の皆さんに、「勅祭(ちょくさい)石清水祭」のニュースをより正確にお届けできる努力していきたいと思います。次回の投稿も楽しみにしてくださいね。